高市早苗氏は、現在の日本の政治家としても広く知られていますが、その若い頃は実に多彩でユニークな経歴を持っています。

高市早苗氏は軽音楽部でバンド活動を行い、ドラマーとしても活躍していました。さらに、テレビキャスターやアメリカでの政治研修など、政治家としての道を歩む前に数々の経験を積んでいたことがわかりますね。

このような多面的な背景が、現在の高市早苗氏の活動にどのように影響を与えているのかが気になる方も多いでしょう。
この記事では、高市早苗氏の若い頃のエピソードを通して、彼女の人間性や政治家としての基盤をどのように築いてきたのかを詳しく紹介します。彼女の魅力的な過去を知ることで、より深く政治活動に対する理解が深まることでしょう。
- 高市早苗氏の若い頃のバンド活動や音楽への情熱。
- 政治家としての道を歩む前に培ったメディア経験や国際的な視野。
- 高市氏の自由で多彩な経歴が現在の政治活動に与えた影響。
- 高市氏がどのようにして日本経済や政治に貢献する立場になったのか。
- 若い頃のエピソードが、彼女の今の姿にどう繋がっているのか。
高市早苗氏の結婚については他のページで紹介しています。『高市早苗の旦那は山本拓!離婚理由や再婚のきっかけは政治的スタンスの変化だった⁉』をご覧ください。
高市早苗の経歴がやばい!
高市早苗氏は、現在の日本の政治家として、特に注目されている存在です。しかし、彼女の経歴は単なる政治家としての歩みを超えて、さまざまな分野で活躍してきた人物であることがわかります。若い頃からの彼女の人生には、どんな背景があるのでしょうか。まずは、高市さんの経歴を追ってみましょう。
- 地元の名門・奈良県立畝傍高校卒業
- 神戸大学経営学部経営学科に進学
- 軽音楽部でヘビーメタルバンドのドラマーを担当
- バイク(Z400GP)愛好家
- 1984年に松下政経塾に入塾
- 松下幸之助から直接指導を受ける
- アメリカでCongressional Fellowとして勤務
- 日本経済短期大学の助手を務める
- テレビキャスターとしての経歴
高校時代はバイク通学!
高市早苗氏は奈良県立畝傍高校卒業を卒業しています。
奈良県立畝傍高校
項目 | 内容 |
---|---|
学校名 | 奈良県立畝傍高等学校 |
所在地 | 奈良県橿原市四条町 |
設立年 | 1901年(創立) |
学科 | 普通科、国際文化科 |
校訓 | 誠実・勤勉・自主 |
特色 | ・国際交流活動 ・課題探求学習 ・文武両道の精神 |
進学実績 | 多くの生徒が国公立大学や私立大学に進学、または就職 |
部活動 | ・運動部:サッカー、バスケットボール、陸上競技など ・文化部:吹奏楽、書道、科学部など |
学校の目標 | 生徒一人ひとりが自分の進むべき道を見つけ、社会で活躍できる人材に成長することを支援 |
奈良県立畝傍高等学校の偏差値は、近年では奈良県内で高い評価を受けています。例えば、2005年頃には奈良高等学校に次ぐ県内2位の偏差値を持つ県立高校とされていました。
高市早苗氏はそんな畝傍高等学校をバイクで通学していたんです!
高校時代は遅刻しがちで通学にはバイクを使っていました。スカートの下にジャージを穿(は)いて跨(またが)り、学校の裏手に停めて、金網をよじ登って登校するのが毎朝のスタイルでした。校則違反なのでダメなことはわかっています。
FRIDAY
かなりユニークな登校スタイルですね!学校に遅刻しがちだったというのは、きっと朝の準備がギリギリになってしまったのか、もしくは寝坊が続いたのでしょうか?バイクで通学というのは、ある意味速くて便利ですが、スカートの下にジャージを履いてバイクを跨ぐというのはちょっと斬新です。
そして、金網をよじ登って裏手から登校というのも、ちょっとしたアクション映画のようで、まるで「学校の裏技」を駆使しているようですね。校則違反と分かっていながらやっていたということですが、学生時代ならではの少しワイルドな冒険心も感じられます。
ただし、安全面も考えると、バイクや金網登りは少しリスクが高いので、できればもっと安全な方法で登校できるとよかったかもしれません。もちろん、当時はそんなことも気にせず、楽しい気持ちが先行していたのでしょうけれど…。

今思うと、あの頃の少し無謀な行動も、良い思い出として心に残っているかもしれませんね!
神戸大学経営学部経営学科で音楽漬けの日々
高市早苗氏は神戸大学経営学部経営学科を卒業しています。
神戸大学経営学部
項目 | 内容 |
---|---|
学部名 | 経営学部 |
大学名 | 神戸大学(Kobe University) |
設立年 | 1957年 |
学位 | 学士(経営学) |
学科・専攻 | 経営学科 |
キャンパス | 六甲台キャンパス |
学部の目的 | 経営学の基礎から応用まで幅広く学び、実務的かつ理論的な知識を習得し、ビジネスの現場で活躍できる人材を育成 |
教育内容 | 経営学、経済学、 |
高市早苗氏の大学時代は、現在の政治家としての姿からは想像もつかないほど多彩で魅力的な経験に満ちています。神戸大学経営学部経営学科に進学した高市氏は、経営数学を専攻しながら、学生生活を存分に楽しんでいました。
高市早苗氏の大学時代を彩る最も印象的なエピソードは、軽音楽部での活動です。単なる部活動ではなく、高市氏はヘビーメタルバンドのドラマーとして活躍していました。しかも、驚くべきことに4つのバンドを掛け持ちしていたのです。ライブハウスでの演奏経験もあり、その激しいパフォーマンスは有名でした。
大学では音楽漬けの日々を送りました。ヘヴィメタルが好きでバンドのドラマーを4つ掛け持ち。『アイアン・メイデン』『ブラック・サバス』が特に好きでした。2~3年のときには、プロのバックバンドもしていたんですよ。『浪速(なにわ)のジャニス』こと小林万里子さんの後ろでドラムを叩いて。とっても楽しかった
FRIDAY
さらに、高校時代から引き続きバイク好きとしての一面も見逃せません。愛車のZ400GPで奈良の自宅から神戸大学まで通学していたのです。当時の高市氏は、バイクをカスタマイズすることにもこだわりを持っていました。特に、黒色ボディと金色ホイールの組み合わせを好んでいたそうです。
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政治家として真面目なイメージを持たれることが多い高市早苗氏ですが、こうした趣味の部分では、彼女の人間味や独自の個性が垣間見えます。

特に、Z400GPというバイクの選択やカスタマイズにこだわりを持っていたという点が面白いです。Z400GPは、1980年代の名車であり、当時のバイク愛好者にとっては非常に人気のあるモデルでした。

イクという趣味は、自由で冒険的な要素を感じさせるもので、学生時代に通学のためにバイクを使うというのは、かなりアクティブでエネルギッシュな一面を示していますね。
また、「黒色ボディと金色ホイールの組み合わせ」というカスタマイズについても、非常に高市氏らしいセンスが感じられます。黒と金というカラーリングは、シンプルながらも上品であり、視覚的に強いインパクトを与えます。これらの選択は、彼女がただのバイク好きというだけでなく、どこかスタイリッシュで自己表現を大切にしていることが分かります。こうしたこだわりが、政治家としての彼女のキャラクターにも影響しているのではないかと思います。
松下幸之助氏の出会いがターニングポイントに!
音楽漬けの大学時代の高市早苗氏です。どのように政治家への道に進み始めるのか気になりますよね。
きっかけは大学4年の夏に松下幸之助氏に出会ったことでした。
大学4年の夏、初めてお目にかかった松下幸之助氏の眼光の鋭さに圧倒されました。すでに内定していた就職先を断り、松下政経塾に進むことについて、「夢があって、いいじゃない」と応援してくれた両親に感謝しています。
私のカクゴ
大学4年の夏に松下幸之助氏に初めてお会いしたという経験は、まさに人生のターニングポイントだったのでしょう。松下幸之助氏と言えば、経営の神様とも呼ばれる存在で、その眼光の鋭さに圧倒されたというのは、まさにその通りだと思います。おそらく、氏の威厳や知識の深さが一瞬で伝わってきたのでしょうね。
それにしても、すでに内定が決まっていた就職先を断って、松下政経塾に進む決断をしたことには驚きます。多くの人が「安定」を求めて内定先をそのまま受け入れる中で、夢を追うために一歩踏み出す勇気があったというのは、本当に素晴らしい決断だったと思います。おそらく、その後の人生に大きな影響を与えたことでしょう。
両親がその決断を応援してくれたという点も感動的ですね。多くの親は、子どもが安定した仕事を選ぶことを望みがちですが、夢を追いかける勇気を尊重してくれたというのは、本当に感謝すべきことです。親の理解と支援があったからこそ、その後の道が切り拓かれたのでしょう。
一方で、松下政経塾に進むというのは、並大抵の覚悟ではなかったはず。あの時の気持ちや決断の裏には、相当な覚悟や自信があったのだろうなと感じます。それだけの熱意と情熱があったからこそ、後の成功にも繋がったのでしょう。
改めて、そんな選択肢を自分で選び取ったことが、今の自分にとって大きな意味を持つのでしょうね!

高市氏の大学時代のエピソードは、私たちに「若い時の多様な経験が、将来の糧になる」ということを教えてくれますね!

高市氏のように、今を精一杯楽しみながら、将来に向けて自分を磨いていくことが大切なのかもしれません。
アメリカでCongressional Fellowとして勤務
1987年12月、高市早苗氏は米国連邦議会のCongressional Fellowとして渡米しました。この経験は、松下政経塾を卒塾した直後のことでした。Congressional Fellowプログラムは、若手の政策立案者や研究者に米国議会での実務経験を提供する 非常に名誉があり、価値が高く、社会的に評価されるような重要な機会です。

のような場に参加できたこと自体、高市早苗氏が持つポテンシャルの高さを物語っていますね!
高市早苗氏は、金融・ビジネス分野を専門としてこのプログラムに参加しました。特筆すべきは、フェミニストとして有名なパトリシア・シュローダー下院議員(民主党)のもとで活動したことです。この経験は、高市早苗氏の国際的な視野を広げ、米国の政治システムへの理解を深めるのに役立ったと考えられます。
フェミニストとして有名なパトリシア・シュローダー(アメリカ民主党連邦下院議員)のもとで活動した。米国連邦議会Congressional Fellow(金融・ビジネス)。
https://japan-indepth.jp/?p=84350

シュローダー議員は、特に女性の権利や平等を強く推進した政治家として知られており、そのような人物と共に働くことができたことは、高市早苗氏にとって大きな影響を与えたことでしょう。

シュローダー議員は、当時の米国政治におけるフェミニズムの象徴的な存在であり、そのもとで得た経験が、後の政治家としての高市早苗氏の姿勢やビジョンに色濃く反映されているのではないでしょうか。
また、金融・ビジネス分野を専門としていたという点も重要です。米国議会という場所での経験は、単に政治的な視野を広げるだけでなく、国際的な経済やビジネスに対する理解も深める機会を提供します。これは、日本国内の政策立案にも大いに活かされる経験だったに違いありません。
総じて、このエピソードは高市早苗氏がどれほど多様な経験を通じて成長し、国際的な視野を持つ政治家としての基盤を築いてきたかを物語っています。その後の彼女の政治活動にも、このような経験が深く影響を与えていることは間違いありません。
蓮舫議員とテレビ出演していた!
高市早苗氏は帰国後、テレビキャスターをしていました。
1989年3月から、高市氏と蓮舫氏は、テレビ朝日の深夜番組「こだわりTV PRE★STAGE」で共に水曜日担当のキャスターを務めていました。この番組は平日の深夜1時頃から明け方まで生放送され、政治や社会問題から超常現象や下ネタまで幅広いテーマを扱う情報バラエティ番組でした。
バブル末期の1980年代後半、2人が深夜番組の司会者として席を並べ、共演していた過去は、あまり知られていない。
「テレビ朝日の『プレステージ(こだわりTV PRE★STAGE )』という番組です。平日の深夜1時頃から明け方までの生放送で、政治や社会問題など硬派なテーマから、超常現象や下ネタまで広く扱う情報バラエティでした」(当時を知る放送作家)
ニュースポストセブン
番組内での二人の様子は対照的だったようです。高市氏は派手なパンク風の髪型で、関西弁でツッコミを入れるなど個性的な面を見せていました。一方、蓮舫氏はタレント活動を始めたばかりでしたが、積極的に発言し、時には高市氏の話にかぶせて喋ることもあったそうです。
大学在学中にクラリオンガールとなった蓮舫さんはタレント活動を始めたばかりでしたが、物おじせず、メインの飯星さんよりも口数が多かった(笑)。一方の高市さんは米連邦議会研究員だったという肩書をひっさげ帰国したばかり。パンク風のヘアスタイルで登場したり、ゲストに関西弁で突っ込みを入れるなど独特なキャラでしたが、司会者としては蓮舫さんに食われていた印象がありますね
ニュースポストセブン
この経験が、高市早苗氏にとってもかなり異色のキャリアとなり、後に政治家としてのアプローチに影響を与えたのではないでしょうか。特に、テレビのバラエティ番組という舞台で、どれほど自然に自分を表現できるかは、その後の政治活動にも影響を与えるスキルだと思います。
また、この共演経験は、現在の二人の政治的立場を考えると非常に興味深いものです。高市氏は自民党の有力政治家として、蓮舫氏は立憲民主党の代表代行として、時に国会で対立する立場にあります。
2025年現在、この意外な過去の共演歴は、政治評論家やメディア関係者の間で時折話題に上がることがあります。二人の政治家としての成長と、かつての共演時代とのコントラストは、日本の政治とメディアの関係性を考える上で興味深い事例となっています。
32歳で初当選!国会議員へ
高市早苗氏の政界デビューは、多くの人を驚かせる鮮烈なものでした。1993年、32歳という若さで衆議院議員に初当選を果たしたのです。
高市早苗公式HP
第40回衆議院議員総選挙で、高市氏は奈良県全県区(定数5)から無所属で出馬しました。注目すべきは、彼女が得票数トップで当選を果たしたことです。これは、政治経験のない新人候補としては驚異的な成果と言えるでしょう。
高市氏の初当選には、いくつかの興味深い背景があります。
- 松下政経塾での経験:高市氏は松下政経塾を卒塾しており、ここでの学びが政治家としての基礎を築いたと考えられます。
- 米国連邦議会でのCongressional Fellow経験:この国際的な経験が、有権者に新鮮な印象を与えた可能性があります
- 無所属での出馬:既存の政党にとらわれない姿勢が、有権者の支持を集めたと推測されます
この鮮烈なデビューは、高市氏のその後の政治キャリアの基礎となりました。現在に至るまで、彼女は自民党の重要な政治家として活躍を続けています。
高市早苗氏の初当選の経験は、政治を志す若者たちに「若さと新しい視点が政治を変える可能性がある」というメッセージを送っているのかもしれません。

テレビキャスターをしていた高市早苗氏はどうして政治家になろうとおもったのかな?

松下幸之助氏からの影響なんだって!
24歳の春(1985年)に松下幸之助氏から、1990年以降に起こり得る大きな変化(安全保障の枠組み、産業構造、日本経済等)についての予測を伺い、政策的な備えの必要性を痛感。国政の場で働くことを決意しました。
私のカクゴ
松下氏は、ただの企業家ではなく、経済や社会の動向について深い洞察を持っていた人物です。その松下氏から未来の変化についての予測を聞くことができたというのは、非常に貴重な機会であり、それだけでも高市早苗氏にとって大きな刺激だったのでしょう。
特に、「安全保障の枠組み、産業構造、日本経済」など、当時の日本にとって重要なテーマが挙げられていたことがわかります。1980年代は、冷戦の終結が近づき、また日本が高度経済成長を遂げた後の新しい経済の姿が見え始めていた時期でした。その中で、安全保障や経済構造がどのように変化するのかを予測し、政策的な備えを考えることの重要性を痛感した高市氏の決意は、時代の変化を先取りするものだったと言えます。
「国政の場で働くことを決意しました」とありますが、これは高市氏が政治家として何を成し遂げたいのか、どのように社会に貢献したいのかを真剣に考えた結果の決断だと思います。松下氏の話を聞いたことで、経済や社会の動向に対応した政策を立案し、日本が抱える課題に対して積極的に関わっていきたいという強い意志が芽生えたのでしょう。
高市早苗の若い頃のエピソードを深堀り!
いままで、高市早苗氏の経歴をご紹介してきました。そのなかでも気になる情報がありましたよね!
- バンド活動
- キャスター
この2つは政治家としては異色の経歴といえるでしょう。
そこで、ここからはこの二つのエピソードをさらに深堀していきます!
軽音楽部でヘビーメタルバンドのドラマーを担当
高市早苗さんは神戸大学在学中、軽音楽部「ROCK」に所属し、ヘビメタの世界にどっぷり浸かっていました。なんと、髪をピンクに染めていたというから驚きです。13歳からドラムを始め、大学時代にはプロを目指すほどのめり込んでいました。
若い頃からオートバイに車、さらに音楽と趣味も多彩で、神戸大学時代には軽音楽部に所属。ヘビィメタルバンドを組みドラマーとして活動。そのパワフルなドラミングは先輩たちからも一目置かれる存在で、一時期はプロを目標にしていたこともあったそうです
Asagei Biz
また、デーモン閣下率いる聖飢魔IIの大ファンであることを公言しているんです。総務大臣在任中の2017年には、デーモン閣下を総務省の「電波利用環境保護周知啓発強化期間」のイメージキャラクターに起用しています。
「デーモン閣下は17年に、総務省による『電波利用環境保護周知啓発強化期間』のイメージキャラクターに就任したのですが、実は彼にオファーしたのが、当時の総務大臣だった高市氏なんです。2人は6月1日にZepp Tokyoで行われた記者会見に同席。デーモン閣下が『今日のライブで大臣にドラムを叩いてもらおうと思っていたが、いろんなところから「やめてくれ」と言われて……、次は是非「Burn」を!』と話すと、高市氏も満面の笑みで返していましたからね。年を経ても、ヘビメタへの想いはいまだ冷めやらず、といったところのようです」
Asagei Biz
ファンならではの人選を実行していたとは驚きですよね。これにはメタル好きも思わずニヤリとしたのではないでしょうか?

ただの思いつきじゃなくて、昔からのファンだからこそできた人選だったわけですね。好きなものを貫く姿勢は素晴らしい!

そして今でも、議員宿舎には電子ドラムを置き、ディープ・パープルの「BURN」やジューダス・プリーストの楽曲を叩いているそうです。
政治のストレスをヘビメタで発散するなんて、まさにロックな生き様ですね!
さらに、2016年1月1日放送のテレビ番組『超豪華歌うま正月SP 十八番勝負!!新春オールスター対抗歌合戦』では、X JAPANの「Rusty Nail」を熱唱しています。その音楽への情熱を披露しました。
現在も議員宿舎に電子ドラムを置き、ディープ・パープルの「BURN」やジューダス・プリーストの曲を演奏し、ストレス解消をしているそうです。

政治のストレスをヘビメタで発散するなんて、まさにロックな生き様!
キャスター時代から蓮舫氏と折り合いが悪かった?
高市早苗氏は若い頃にキャスターをしていました。この時に共演していたのが蓮舫氏です。
この二人は対照的な存在だったため、番組外ではあまり話すことはなかったという証言があります。
蓮舫さんは飯星さんを“姉貴分”として慕っていましたが、高市さんとはほとんど口をきいていなかったんじゃないか。特段、仲が悪いというわけではないけど、ソリが合わないのは明白でした。高市さんの発言中に、蓮舫さんが話をかぶせて自分のペースにしてしまう場面もあった。高市さんがしらけた表情をしていたのを覚えています
ニュースポストセブン
高市早苗氏と蓮舫氏の性格の違いが、番組内でも表れていたのでしょう。
- 高市早苗氏:しっかりとした発言を重視するタイプ
- 蓮舫氏:自分のペースで話を進めるタイプ
という印象があります。そのため、蓮舫氏が高市早苗氏の発言中に話をかぶせて自分のペースに持っていく場面があったというのは、視聴者としてもなんとなく想像できる状況ですね。
ただ、こうした場面が繰り返されることで、高市早苗氏が「しらけた表情」を見せるというのも無理はないように思います。どんなに大人で冷静な人でも、自分の話を遮られてしまったり、流れを変えられるのは不快に感じることもありますよね。特に番組の進行役やキャスターとして責任感を持っている高市早苗氏にとっては、蓮舫氏のスタイルが少し気になる部分だったのでしょう。
番組の進行役や他のキャスターとの相性も大事な要素です。高市早苗氏がしらけた表情をしていた場面があったという点からも、やはり二人の間には微妙な温度差があったのは確かだと思います。これは政治家同士という立場でも、個人としての性格やアプローチの違いが影響していたのでしょう。
結局のところ、このエピソードは、テレビ番組という「パフォーマンス」の場でも、実際の人間関係がどれほど重要で、時に難しさを感じさせるものかを示しているのかもしれませんね。
高市早苗 若い頃は異色だった!
高市早苗氏の若い頃は、現在の政治家像とは大きく異なる異色の経歴を持っていました。
大学時代はヘビーメタルバンドのドラマーとして活動し、阪神ファンでバイク好きでした。卒業後はテレビキャスターとして活躍し、派手な髪型で個性的な姿を見せていました。
松下政経塾での学びや米国での経験を経て政界入りしましたが、この多彩な経歴と現在の保守派政治家としての姿のギャップは、彼女の人生における大きな変化を物語っています。
- 高市早苗氏は、1961年に奈良県で生まれ、若い頃から多彩な才能を発揮していた。
- 神戸大学では経営学を学び、軽音楽部でバンド活動をしていた。
- 音楽活動では、ヘビーメタルバンドのドラマーとしてライブハウスで演奏経験もある。
- 高市氏は高校時代にバイクを愛し、バイク通学をしていたことでも知られている。
- 1984年、松下政経塾に入塾し、経済学の学びを深めながら政治家への道を歩み始める。
- アメリカでのCongressional Fellowとしての経験が、政治家としての視野を広げた。
- メディアでも活躍し、テレビキャスターとしても一定の知名度を誇る。
- 政治家としては、経済安全保障や経済政策などで重要な役職を歴任。
- 若い頃の自由な精神や多様な経験が現在の政治活動に活かされている。
高市早苗氏の結婚については他のページで紹介しています。『高市早苗の旦那は山本拓!離婚理由や再婚のきっかけは政治的スタンスの変化だった⁉』をご覧ください。
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